メディア

傘寿の贈り物|八十歳の男性へ、装いを贈るという考え方

傘寿の贈り物|八十歳の男性へ、装いを贈るという考え方

著者:TajimaHiroyuki 2026年9月11日

傘寿の贈り物八十歳の男性へ、装いを贈るという考え方 八十歳のお祝いに、何を贈るか。 男性への贈り物は、女性へのそれよりも難しいと言われます。趣味の品は好みが分かれる。実用品は味気ない。物はもう足りている。そう考えて、決めきれずにいる方は少なくありません。 傘寿という言葉 八十歳の祝いを傘寿(さんじゅ)と呼びます。「傘」の略字「仐」が、八と十を組み合わせた形に見えることに由来します。祝いの色は黄色、または金茶とされています。 言葉に傘の字が入ることから、傘を贈るという発想が生まれます。ただ、男性への贈り物として考えるなら、もう少し視野を広げてもよいかもしれません。 同じように手に持つもので、装いの一部となるもの。ヨーロッパには、その系譜があります。 ステッキは、もともと装身具だった 日本では、杖は歩行を助ける道具として認識されています。けれどヨーロッパでの歴史は、少し違います。 十七世紀、ステッキは紳士の装いの一部となりました。ヴィクトリア朝にはその流行が頂点を迎え、社会的な地位や趣味を示すものとして扱われています。一七〇二年のロンドンでは、公の場でステッキを持つのに許可証が必要だったという記録も残っています。 必要だから持つのではなく、装いとして持つもの。 ハンドルには象牙や銀が用いられ、神話や動物の意匠が彫り込まれました。ライオン、鷲、馬、犬。それぞれの姿に、持ち主の気質が重ねられています。 近年、この位置づけが見直されつつあります。歩行を支える道具としてではなく、装いを表すものとして。著名人が用いることで、その印象が変わってきたとも言われます。 「まだ早い」と思われないために 杖を贈ることをためらう理由は、はっきりしています。相手に年齢を突きつけてしまうのではないか。まだ必要ないと思われるのではないか。 その懸念は、もっともです。 Pasottiのステッキは、医療用として作られたものではありません。歩行の補助を想定した装身具として仕立てられています。ハンドルには真鍮や樹脂で象られた動物の頭部が据えられ、シャフトには色や模様が入ります。 玄関に立てておくだけでも、その場の景色が変わります。使う日が来るまで、飾っておいてもよい。そういう性格の品です。 贈るときに伝える言葉も、「必要になったら」ではなく「似合うと思って」のほうが自然だと思います。 もうひとつの選択 ── 靴べら それでもステッキは早い、と感じる場合には、靴べらという選択があります。 靴べらは、年齢を問いません。そして多くの方が、自分では買わないものです。百円のもので用は足りてしまう。だからこそ、贈り物として意味を持ちます。 Pasottiの靴べらは、ステッキと同じ工房で、同じ意匠の系譜のもとに作られています。馬、ライオン、犬、鳥。ハンドルの造形は、ステッキのそれと変わりません。 玄関に立てておけば、毎朝目に入ります。出かけるたびに手に取るものが美しいというのは、日々のなかの小さな贅沢かもしれません。 ステッキを選ぶ 意匠には、それぞれ意味があります。贈るときに一言添えられるものを選ぶと、渡す場面が変わります。 ライオン 威厳・勇気...

続きを読む 傘寿の贈り物|八十歳の男性へ、装いを贈るという考え方
傘寿の贈り物|八十歳の女性へ、雨の日が楽しみになるもの

傘寿の贈り物|八十歳の女性へ、雨の日が楽しみになるもの

著者:TajimaHiroyuki 2026年9月11日

傘寿の贈り物雨の日が、楽しみになるもの 八十歳のお祝いに、何を贈るか。 物はもう足りている。健康を気づかう品は、かえって年齢を意識させてしまう。現金では味気ない。そう考えて、決めきれずにいる方は少なくありません。 傘寿という言葉 八十歳の祝いを傘寿(さんじゅ)と呼びます。 「傘」の略字「仐」が、八と十を組み合わせた形に見えることに由来します。祝いの色は黄色、または金茶。長寿の祝いのなかでも、比較的あらたまった節目とされています。 言葉に傘の字が入る。そこから傘を贈るという発想が生まれるのは自然なことですが、それだけでは理由として少し弱いかもしれません。八十歳の方が、雨の日に長い距離を歩く機会は多くないからです。 それでも傘を贈る意味があるとすれば、別のところにあります。 雨の日を、どう過ごしているか 年齢を重ねると、雨の日の外出が億劫になります。 足元が滑る。荷物が増える。傘をさすこと自体が、少し面倒になる。そうして「今日はやめておこう」という日が増えていきます。 出かけない理由が増えるのではなく、出かける理由が減っていく。外出の機会が少しずつ細っていくのは、こうした小さな億劫さの積み重ねです。 けれど、八十歳の外出は長い道のりではありません。家から車まで。車から店の入口まで。多くの場合、数十メートルの距離です。 その短い距離を、どんな気持ちで歩くか。 開いた瞬間が、すべての傘 数十メートルしか歩かないのであれば、軽さや耐久性はさほど重要ではないかもしれません。 むしろ意味を持つのは、傘を開いた瞬間です。 Pasottiの傘には、ダブルクロスと呼ばれる仕立てがあります。骨組みの内側に、もう一枚生地を張る構造です。外から見える面とは別に、内側にも花が咲きます。 傘を開いた人だけが見る風景です。 この構造には実用的な効果もあります。骨組みが内側の生地に覆われるため、髪が骨に引っかかりません。生地が二重になることで、紫外線を遮る性能も高まります。 重さは増します。ただ、風の強い日に煽られにくく安定して持てるという声を、お客様からいただきます。足元に不安のある方にとって、傘が風に取られないことは、軽さより大切かもしれません。 一緒に、さす 傘は一人でさす道具ですが、雨の日に並んで歩く時間は、一人のものではありません。 車まで送る数十メートル。傘を開いて、差し出して、並んで歩く。会話が生まれるのは、そういう何でもない時間です。 贈り物を選ぶとき、私たちはつい「相手が使うかどうか」を考えます。けれど本当に大切なのは、それをきっかけに何が生まれるかではないでしょうか。 手帳を贈るなら、来月の予定を一緒に書き込む。傘を贈るなら、次の雨の日に一緒にさす。 贈ったあとに続く時間があること。それが、物を贈る意味だと思います。 花言葉で選ぶ Pasottiの傘には、さまざまな花が描かれています。花言葉から選べば、渡すときに伝える言葉も自然に決まります。 尊敬を贈る...

続きを読む 傘寿の贈り物|八十歳の女性へ、雨の日が楽しみになるもの
ダリアの花言葉

ダリアの花言葉

著者:TajimaHiroyuki 2026年9月11日

ダリアの花言葉色が伝える、それぞれの意味 大輪の花びらが幾重にも重なり、光を受けて深い陰影を落とす。ダリアは、見る角度によって表情を変える花です。 贈り物を選ぶとき、その花が持つ意味を知っていると、選ぶ理由が生まれます。ダリアの花言葉を、色ごとにご紹介します。 ダリアという花 原産地はメキシコ。18世紀にヨーロッパへ渡り、宮廷で愛されるようになりました。ナポレオンの妃ジョゼフィーヌが自邸の庭で栽培したという逸話も残されています。 日本には江戸時代の終わりにオランダ経由で伝わりました。当時は「天竺牡丹(てんじくぼたん)」と呼ばれています。牡丹に似た豪奢な姿から、そう名づけられました。 品種は数万種とも言われ、花の大きさも直径数センチのものから30センチを超えるものまで幅があります。 ダリア全体の花言葉 ダリアに共通する花言葉として、次の三つが挙げられます。 華麗 ・ 優美 ・ 気品 いずれも、この花の姿そのものから生まれた言葉です。幾重にも重なる花びらの造形と、ヨーロッパの宮廷で愛でられた歴史が、これらの言葉に結びついています。 色が伝える、それぞれの意味 花言葉は色によって異なります。以下は一般的に知られているものですが、出典によって差異があることをご了承ください。 赤 華麗・栄華 もっとも力強い印象を与える色です。 贈る相手に新しい立場に立つ方へ。昇進、独立、門出。祝意をはっきりと伝えたいときに。 自分のために背筋を伸ばしたい日がある方へ。持つだけで気持ちが切り替わる色です。 ピンク 優美・感謝 やわらかな印象を持ちながら、ダリア本来の存在感は失われません。 贈る相手に長く支えてくれた方へ。改まった言葉にしにくい感謝を、色に託して。 自分のために華やかさを、自分のために選びたいときに。 白 感謝・豊かな愛情 清らかさと落ち着きを併せ持ち、花の造形がもっとも際立つ色です。 贈る相手に言葉を尽くさなくても伝わる間柄の方へ。控えめでありながら、確かな敬意を示せます。 自分のために装いを選ばない一本を求める方へ。 紫 気品...

続きを読む ダリアの花言葉
傘は遺言で受け継がれていた|イタリアから始まった洋傘の歴史

傘は遺言で受け継がれていた|イタリアから始まった洋傘の歴史

著者:JapanPasotti 2024年8月16日

傘は、遺言で受け継がれていたイタリアから始まった、洋傘の物語 かつてヨーロッパで、傘は贅沢品でした。 富と権力の象徴として扱われ、誰がその傘を受け継ぐのかを遺言書に記すことも珍しくなかったといいます。 いま私たちが手にしている道具が、そこまでの価値を持っていた時代があります。 十三世紀、イタリアで傘は開くようになった 傘の起源は四千年前に遡るとされています。古代ギリシャやローマでは、高貴な身分の人が従者に持たせて歩くもので、日差しを避けるために用いられました。 当時の傘は、開いたままの状態で固定されていました。天蓋から発展したもので、たたむという発想がまだありません。 開いたり閉じたりできる傘が生まれたのは、十三世紀のイタリアだと言われています。 持ち歩ける道具になった瞬間です。 親骨には鯨のひげや木が用いられました。今日の傘の原型が、このときに形づくられています。 王家の婚姻とともに、海を渡る イタリアで生まれた日傘は、まずスペインとポルトガルへ広がりました。 フランスへ伝わったのは1533年。フィレンツェのメディチ家のカトリーヌが、のちのアンリ二世となる王子のもとへ嫁いだときのことだと伝えられています。 嫁入り道具として傘が海を渡った。そのこと自体が、当時の傘の価値を物語っています。 十八世紀のフランスでは、ルノワールやモネが日傘をさす婦人を描きました。傘は絵画の主題になるほど、装いの一部として定着していきます。 雨が降っても、傘はささなかった 意外に思われるかもしれませんが、当時の傘は日傘でした。 雨が多いことで知られるイギリスでさえ、雨の日に傘をさす習慣は長くありませんでした。十八世紀に現在の構造に近い傘が開発されたあとも、人々は雨に濡れて歩いていたといいます。 傘は雨具ではなく、装身具だったからです。 日差しを避けるために持つもの。身分を示すために持つもの。実用の道具になるまでには、さらに時間がかかりました。 日本へ渡る 日本に洋傘が伝わったのは、江戸後期のことです。1804年、長崎に入港した唐船の積荷に「黄どんす傘一本」との記録があり、これが洋傘として特定できる最古のものとされています。 当時の洋傘は高価で、限られた人しか手にできませんでした。普及が進んだのは明治に入ってからです。 日本にはすでに和傘がありました。竹と和紙で組まれた、この土地の気候と暮らしに合った道具です。洋傘はその隣に、新しい装いとして加わっていきました。 四千年をかけて、傘は日除けから雨具へ、そして装いへと形を変えてきました。 受け継ぐという前提 Pasottiは1956年、北イタリアのマントヴァで創業しました。傘が開くようになった土地から、七世紀を経た場所です。 一本ずつ手仕事で仕立てるという方法を、いまも変えていません。ハンドルには真鍮や樹脂で象られた意匠が据えられ、生地にはイタリアで織られたものを用います。 万一の破損や経年の変化には、イタリアの工房と日本の提携修理店が対応します。骨が折れても、生地が傷んでも、直して使い続けることができます。 壊れたら買い替えるのではなく、直して使う。あるいは、次の世代へ渡す。...

続きを読む 傘は遺言で受け継がれていた|イタリアから始まった洋傘の歴史